新しい技術に対する関心が薄れてきた.今までの知識で仕事が充分回るということもある.ただ純粋にプログラミング言語や外国語が好きだという気持ちが,減退している.資格取得に熱が上がったこともあったがすっかり冷めている.多分この状況は,本物の経験を積みたいという希望の表れだと解釈している.商品になるほどの,自信を持って提出できるくらいの,品質を自分に高く課すようになったのだろう.
それはプロの仕事ということである.プロの傑作以外は後世に残らない,無意味とは云わないが習作に過ぎない,そういう意識を持つようになった.生涯に傑作をひとつでも残したい.それに向けて人生を調整しても良いほどだ.追究には終わりがないので,基礎を作ってもそこから育つ成果物を多く出し,多く出せたなら本物.そういう考えに変わってきた.これはプロの思考である.
何のプロか.スピノザタイプ,いわゆるマチュアなアマチュアとして,レンズ磨きの傍らの倫理幾何学,特許官の傍らの相対性理論,戦場での傍らの論理哲学論考.そういった傍らの仕事を重要だとみる.というのは,長く残る仕事は休養と遊びの中で,暇の中で,生まれるからだ.専業で研究していたり,成果が求められたり,肩書や地位が付いて責任が重くなったりしてきたら,自由な言動はできにくいだろう.
私は教授職や研究職を選ばなかった.早々に高校を辞めているし,専攻する学業も二の次,将来の研究のためと特に数学物理学の本ばかり読んできた.結果として,お金がかからない暮らしと自由に考えられる環境を手に入れた.人生設計に成功したと思っている.今のところ研究主題に欠くことはない.その研究が誰の役に立つか.次の課題はそのあたりにある.自己満足から離れた一隅のプロとしてである.

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