主義の異なる人物と働くことは大変である.主義の相違は,立場の違いよりも厄介だ.職位は変わるが,主義は変わりにくい.学んで教わって入れ替えるものではないだろうし,異なる主義のうちどちらがより良いかという尺度は人間の中にしか存在しない.だから,個人的には正しい考え方でも,受け手の評価によって貶められうるし,そんなことは歴史上よくあること.後世に受け入れられる考え方でも,正しいと広まるまでに数世紀かかったものはかなりある.
大学でさまざまな学問領域の思想や考え方を学んだ.そんな恵まれた環境に身を置いたことがなく,社会人になってから勉強を始め,業務経験の中で主義を固めていった,そういう社会人がほとんど.そう考えると,大学で受けた教育は実に良かった.というのも,ただ考えるのではなく,考えることを考えてみる.と教わったので,情報や知識について20代の時間で考えを深められた.これは良かった.
生活にストレスが少ないのも,普通知らないことを,普通考えもしないような方法で,普通知られているよりもっとしっかりと知ることができた,そんな事柄が多いからだと思う.私にはあまり知らないことは少ない.いな,正確には,生活に困るほど知らない事柄があまりない.自然科学については大方知っている,法律は知らないが哲学は押さえてあるので太刀打ち回れる.第一,文字とPCという情報や知識の基礎は固い.専門家ではないけれど,困らないくらいには通暁している.
思想を固めるために大学で手にした本は1,000冊近くなるのではないか.そのくらいの勉強はした.その結果,普通の常識とは異なる思想の基礎や習慣や行動が,普通とは異なる仕方で身に付いている.私は変人で困った人物とされるけど,そうする人たちに理解してもらおうとは思わない.少し理解されるより,ずっと謎の人物で良い.人を理解することは難しい.自分の知っている知識がもし完全ならそれも可能だろう.でも,私の周りでそうしたノンクリスチャンは少ない.だから私は教会の知己と共に神さまを賛美するのだ.

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