おじさんやおばさんということばがある.私ももうおじさん,おばさんだからしようがない.そうやって使われる言葉だ.とはいえ,定義がよくわからないので,考えてみた.その前に,おじさんやおばさんという語があまりに便利なので,人間理解を阻むほどの力を持っているのではという視点を考えたい.おじさんやおばさんといってしまうと,それ以上その人のことを理解しようとしなくなるのではないか.
おじさんもおばさんも,その人を疎ましく思う若者が使いたげな言葉だ.おじさんとなってしまってはもう終わり,おばさんにはなりたくない.そう若者は思う.若者にとってのおじさんおばさん人口は,中年にとってのおじさんおばさん人口より多いはずだ.若者より年上の人間は,中年より年上の人間より多いからだ.だから,この社会でおじさんおばさんはいつも多数派である.
実は,年齢を重ね様々な方々と触れ合うにつれ,その人の中でおじさんおばさん人口は減少する.35歳目前の私にとっては,本当におじさんおばさんな人間は,ものすごく少ない.少なくとも私の周りにはほとんどいない.それはつまり,人間をおじさんおばさんとして見ないで,人生の達人,賢者,美徳,そういった若者が完全な形で持ち得ない特質を,人間のうちに見るのだ.
そう考えると,10代や20代の私は極めて狭い人間だった.そんな若者が多いとすると,多分年上の人たちと交流する機会が少ないのが原因だと思う.この街には,この国には,素晴らしい人物が多く暮らしている.社会を作っている.そうした先達の営みに触れてみれば,おじさんおばさんとして見ないほうが豊かになる気がする.私はもうおじさんおばさんということばを内心で廃することに決めている.

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