差別はなくならない.差別する人の心の問題だとされるが,差別されている人間も差別していることだってあるだろう.私は障がい,それも軽くない障がいを持っているので,しばしば思いもよらない人から差別される.近しい人からでさえそうなることもあるのだ.でも,私だって差別的に人を見ている.文系出身者や高卒の人物をかなり手厳しく見てしまう.そういう人と話が通じないからだ.
話が通じやすい人との関わりは,そうでない人との関わりより,思いもかけない喜びが待っている.自分を肯定できるし,話が通じたことで心身良好になる.今後も関係を育もうと思えるので希望を持つ.しかし,話が通じない人との関わりは,胃痛がするし,苛立ちと怒りが綯い交ぜになり,それはしばしば相手も同様だろう.話しを通じるだけの努力をしてくれているなら敬服するが,そんな人は稀だ.
昔の職場には技術的な話ができる人物が何人もいた.いろいろと教わった.今考えてみれば,非常に貴重な環境にいた.というのも,今の職場では技術者として孤立している.ウェブテクノロジに明るい人物として働いているものの,テクニカルな助言やサポートを行うまでで,なぜかといえば,テクニカルな面に明るい人物がほぼいないからだ.ウェブだけでなく数学や科学に明るい人物が少ないようだ.
私は役所や公共施設でよく迷うし,手続きについての説明が分からなくて遅れたりする.文系分野の説明が分からないから.私は理系オタクである.法律も組織ルールも分からない.そんな分からない人を侮る公務員は,多かった.でも私は逆に文系出身者を正直ものすごく侮蔑してしまう.この癖はかなり昔からそうなので,直ぐ直るものではない.技術者が集まっていた昔の職場の居心地が名残惜しい.

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