小学校で「としこ先生」にお世話になった.先生のことはとても怖かった.直接諭されたことは確かないけれど,厳しく指導する先生だった.私はこの先生のいうことは守ろうとした.その教えのひとつが,静かにしなさい,というものだ.授業を静かに受けなさいとの意味だった.でも当時の私は授業以外でもいつも静かにした方がいいと考え,学校で騒ぐことはしなかった.先生から指導を受けずに済むので,学校で静かにすることはいいことだと合点し,中学校でもずっと静かにした.授業中も部活でも,もちろん休み時間にも.能ある鷹は爪を隠すなどと囁かれたこともたびたびあった.
しかし,高校でこの理解は崩れ去る.授業は静かに受けなくても分かるので,意見を考えたり後ろで議論したりする人物がいた.授業が静かだったためしはない.かつての認識では,みながとしこ先生に怒られるはずである.けれども,先生の誰一人として注意しない.生徒の自主性に任せきる校風.ここで私は大きく悩んだ.果たして一体,静かにしてはいけないのか.話さなくてはならない休み時間が地獄のようで,何一つ話せない自分が厭になった.毎朝授業に行く前に,近くの街で深呼吸して,一日の作戦を練った上で遅刻し,昼休みは学校の裏手にある図書館の庭でひとりで済ませた.ホームルームが終わると一目散に学校から去り,日が暮れるまで港の突堤で過ごした.
この,今まで信じてきた教えが本当は絶対ではなく,通用しない環境に置かれたときの自分はどういう存在なのか,という問題は,その後の私を高校中退と美術の道と哲学書へいざなった.私は一体誰なのか,何を信じて生きるべきか,置かれた世界でうまくやっていく考え方なんてあるのか.私はもう充分高校で学んだし,今しかできないことを実践したい,と退学届に書き,受理された.その時のことはよく覚えている.登校最終日,高校1年のころの担任に呼び止められ,高校を辞めるというのは本当かと尋ねられた.1年生のときの級友とは,将来の計画について短く語らった.その日,涙を堪えて校舎に一礼し,校門を後にしたことは,誰も知らない.
としこ先生に教わったことは,授業中静かにすることではない.教わったことが通用しない環境があり,しばしばその環境の方が優れているということだ.静かに受ける授業は,典型的な管理型の授業である.でも,静かにしてはいけない授業だってある.大学でも議論が必須の講座があり,苦労する受講生がいた.彼らも同じように管理型の授業において優秀だっただけなのだろう.でも,社会人の会議なんて発言できなければいないも同然.話ができなければ友人も同僚もいない.私は教会で受洗して初めて人生の本当の拠所を得て,心が安らかになったのだが,高校時代から悩まされたこのすべての発端であるとしこ先生の指導は,他のどの教師よりも強烈なものがあったし,得るものも最も大きかった.もし地元でお会いできたら礼を述べたいと思う.

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