本というものがどんなものなのかよく分からない.こういうと大人なのにと驚かれる.しかも私は大学で図書館情報学を修めた人間だ.修めたはずなのに,いや修めたからこそ,本というものがどんなものなのか,人より少し深く知りたいのかもしれない.私が手に取った本は恐らく1,000冊を超えているけど,人が一生で手に取る本の数は,平均すれば1,000冊くらいになるのではないか.そんなことを考えたことがある.
本を知りたいと言いながら,そのくせ本を真剣に読むことの少ない私である.最近になって珈琲を飲むようにし,遅蒔きながら本を夜でも読めるようになった.いざ読んでしまえば,本への哲学的関心は本の内容へとはっきり変換され,本というものはなどという思考を取り除ける.読んだ本のうちのいくつかのことばが残り,洗面所や寝室に運び込まれる.そして朝になるとどこかへ消えている.
本と私が結ぶ関係はそんなところだ.そんな小さなことに過ぎないのだ.私は本を好きではないのだろう.無理に好きになろうとしているし,読みたくない本も手に取るし,そもそも本が読みたいという気持ちになったことなんて今まであっただろうか.本当に本を基本から本格的に読んだことがないから,本の本質さえ本心では分からないままなのかもしれない.私は本が読めるのかという生まれつきの問題もある.
思考は得意だけど読書は苦手,そんな青年だった私は,こうして部録を書くことなら飽きずに続けているが,読書の習慣はついていない.面白い本を何十冊も持っていても,それらをすべて読もうとか毎日読もうとか思ってしまうから読めないでいるのかもしれない.とにかく読むまでが大変で,読んでしまえばなんのことはないものの,読んだ後に次に読むまでがまた大変.読書が大変な夏休みである.

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