私は,1日のうち,どのくらい身体だろうか.声楽のレッスンを受け始めた.合唱団の先輩から紹介頂いたYouTubeである.肺に空気を入れて吐いたり,肩甲骨を広げたり,横隔膜を上下させて鍛えたりの肉体的訓練.ジムで行う筋トレとはだいぶ趣が異なるが,30分の動画が終わるころには意外と疲れている.歌うとき声を作ろうとしがちだが,このレッスンで鍛えると,息を吐いて吸うだけで歌えるようになるという.
身体に注目すると,必ずと云っていいほど,どこかが鈍っている.癖のようなもので,骨格の均整,筋肉の使用習慣,呼吸や血流の筋道,そういった生活上の身体習慣が,その人の人となりを作っている.その最たるものが声.声を聞けばその人の自己管理の水準が知れるという玄人もいるほど.少なくとも,声を訓練すれば,ほかの利点もある.それを私はこれから知ることになる.
しばしば,私は自分の鼻が骨らしく硬い感覚がすることがある.夜に寝る前が多い.自分の髪の毛を触ると,繊維感を掴める.顔を洗うと,肌の弾性を手の皮膚が受ける.なにか,自分が身体の材料で,身体そのものだとは思わないが,材料を持っている私は確からしく,私が身体を持っていることを豊かぶ時間がある.この材料時間は,昼間のほとんどでは忘れられていて,就寝前の風呂上がりの服薬後の数十分の間のみ感じられる現象だ.
私は確かに身体を持っている.でも多くの時間ではこのことを忘れ,酷使したり,メンテナンスしなかったり,動かず怠けている.もっと私たちは身体であるべきだ.身体を顧みるべきだ.一生を共にする身体.死の原因ともなる身体.不自由なところも多いのは障がい者でも誰でも同じ.自ら願い求めた結果ではないけど,自分は材料で,身体を移動させて生きている.身体を動かさないでも生きられる世の中になるからこそ,身体の豊穣を味わう材料時間を習慣にしておきたい.

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