35歳まであと1か月ほど.中年になる.自分に関する認識を改めたいと思う.私は,期待される人間でも上に立つ人間でもない.そう欲しないし,そう望みも望まれもしない.だから私は自分の好きなことを貫いて老いる道を選ぶ.好きなことを追究する意欲も,自由になる時間も充分持てる.好きなことのひとつを仕事にしているので,これを追究していれば収入の手段が途絶えることもない.趣味と実益の兼備.
ただ,世には自分の好きなことだけして生きられる人間はまだ少ない.恵まれている人間に対する嫉妬や攻撃は受けることになる.過剰に有名にならずに済む職業を選び,それゆえ収入を高く望まずに,好きなことで役立てる人間になりたい.ただ,私の年上の知己がそうしているように,好きなことだけして生きていくのが最高だと気安く忠言することは控えたい.そうするには大変な苦労が,そうであることには大変な謙遜が加わるから.
好きなことを追究する人生を選択しても,そうなれなくても,どちらにしろ同じことで,一方から他方へ圧力的偏見は掛かるものだ.そういう視線を無視しない方が賢明だ.私は恵まれてしまっている,それは今まで人生の選択肢を増やすよう努力し,その中から深く自己吟味し選び取り,その道で専門家になるために犠牲を払って得た立場だ.しかも私の自助努力の解ではなく,神さまの導きに負うものだから,ますます何も思えなくなる.
恵まれてしまっている.満足を深く覚えてしまう.それではいけないと思いながらも,神さまの愛に感謝すると,天の国での安住を想像してしまうから,現在に満足してしまう.努力を駆動するのは不満ばかりではない.好きで追究する動機は,満足と興味や好奇心があれば良い.本当に好きなのであればいちいち目的に照らさなくてもやってしまう.そのついやってしまう時間の中に,人生の水準点があり,水位は徒に高めなくていい.

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