自分がまさかこんなことを考えるようになれたことは信じがたいけど,人の才能に敬意を払うこと,情熱の為す技に喝采すること,平時の働きを称賛すること,そうした配慮が備わるべき年齢立場になってきたように思う.職場の上長や教会の大先輩に出会い,世にはメディアが取り上げない素晴らしい人物がいるのだと知り,そうした人は少なくないと知ると,あちこちで出会う人たちが素晴らしく見えてきたのだ.
今まで何も考えなしに聞いてきた会話には,感謝や好意に加え,話題の選定,気遣いや知性や,愛情と諧謔味など,その人に備えられた個性から来る繊細な流儀が滲み出るように感じられるようになり,案外人間って面白いし,若すぎる人間観から早く脱却したほうが幸せだと思うようになった.若すぎる反逆反抗は,人間観を損ない自分が一番損をする.そんな人生を選んでほしくない.
私に懸けられた愛情は深く,それは私が意図せずかけてしまったところから生じた場合が多いようだ.でも,その結果生じた愛答は,私に思いもかけない成長を促進させた.私には親しく話ができる知人が4人いて,数を増やそうと思わないほど豊かな交わりだと思っている.人生が益々楽しく深く変わっていく.本当はその奥に佇む豊かさを私は欲しているのかもしれず,しかも涸れない泉のように私を諭し続ける.
結局中年になるとは若さからの脱却である.不羈奔放からの脱皮,自分主義からの離別,反省と回顧の昇華である.中年とは,老い惚れでもなく,暗い舗道でもない.人間的進化の始まりだ,そう思う.若さに由来する価値をすべて滅却してもいいと思うほど,私はまだ変化する.丁寧になるだろう,慎重になるだろう,笑顔が増すだろう.そうした新たな価値を活かす中年になりたい.中年は,実に希望だ.

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