背中に目を付ける.潜在能力を発揮する本に,必ず姿勢の項がある.私がこの背中の奥義を聞いたのは,弓道の道場である.芸大受験に失敗し浪人生活を始めたとき,弓道の市民団体に所属した頃のことだ.そのとき姿勢で心身は変わると知ったものの,時折忘れてしまった.それを最近私の畏友から教わり,改めてその重要性を知った.なにせ背中に目を付けるだけで,猫背や上がり顎は勿論,意識で高度に思考できるのだ.
読書も知的に高次な営みだから,本当は本を正しく読むことは難しい.かなり難しい.しかし,その高度や思考を経験してしまえば,その高度以上を目指すための読書が進む.遥かなる高み.個人の知性は青天井で,深い宇宙を究めても超えることはない.どこまでも深化する知識.背中に目を付けることを知っていた高校の同級生は今頃どれほどの高みにいるのだろう.
私は高校生の時から,自発的に市民団体に所属してきた.家族と学校での往復生活が厭になり,もっと広く知りたいと思ったのだ.高校でも部活を5つ掛け持ち,芸大受験の美術学校に学費無償の浪人生活を経て,大学でもサークルに次々入り,社会人になってからは教会に数学会にボランティア,NPO法人,合唱団.少しやりすぎているきらいさえあるほどだ.多くの先輩や師匠に出会い,何人かは今も続いている.
最近,目が少し開いたのか,人間の魅力を見出せるようになった.つまらないと思ってきた人も,ただ素晴らしく縁遠いと思っていた人も,私に近づく人も,みな魅力で満ちているように感じる.背中に目を付けて自分を客観視することで気づく.文字通り自分が主ではなく,自分は世界のお客様に過ぎない.自分が神でも主でも主人でもないこの世界が素晴らしい.観客として,誰かの脇役として,そっと登場するこの世界で.

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