きょうは知人にウェブを教えに行った.jQueryやVue.js,PHPやMySQLのサンプルを作り,Excelでシステムも途中まで作った.Gitを導入し,Atomからコミットもした.Pythonのコマンドラインでprint(‘hello world’)を実行し,Anacondaもインストールした.全部で3時間くらい.役立ってくれるといいが,どれほど理解が進んだかは怪しい.私の教え方が問われる.いわば私の初の「教え子」なのである.
私が最初の会社で教わった上司は,部下が必ず退社するというジンクスを持っていた.私も例に倣って退職した.どのような教え方だったかといえば,才能を持っていると伝えられ,それを伸ばすように言われたのだ.実際,才能を伸ばす自由放任の王道を行く指導だったので,他の退職した部下も才能が伸びた,だからもっといい会社に入れると気づかれ,皆転職していった.その上司の教え方は間違っていない.
次に入った会社の上司は,とても厳しい男で,入社早々技術のない私をこてんぱんにした.仕事のやり方からどんな質問にも答えてやると言い,確かに教育的だったが,私はもう訳が分からなくなって限界だと言って辞めた.実際に精神を壊し,障がい者手帳の申請が通ったほど.最初の仕事が画面の下のほうにボタンを作れという課題だった.私はできなかった.コードを一文字も書けずに終わった.
そういうわけだから,きょう教えに行った知人が,すぐにコードを書けるようにならなくても,もっと鷹揚に構えている.書けるなら仕事は見つかっている.書けるようになるまでが時間が掛かる.それを私は経験からよく知っている.いろいろなデモを作っている姿を見せることが,身近にいる意義だと思う.私は知人が今夜プログラムを書いていないことを信じ,根気よく応援してみたいと心に念じた.

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