合唱団の練習が来月から再開される.久々なので発声訓練中心だそう.社会的距離を確保するため,早番と遅番とに分かれ,会場ホールを広く使うという.久々の邂逅に背筋が引き締まる.自分は練習は緩やかに,第九など好きな歌や,紹介頂いたYouTubeに合わせて訓練するなど,何もしなかったわけではないが,もっと訓練していた方に比べれば甘かったはず.残り1ヶ月が正念場,団の足を引っ張らないように身体を作っておきたい.目標の持ち方が低い私の性格である.
昨日誕生日ということで,妻が予約してくれたレストランへ向かい会食した.とても華やかな秋の香りのよいコースで,最後まで楽しめた.その中の逸品にコロッケがあった.白身の魚を中心とした身を,米粉の衣で揚げたもの.付け合わせに芳醇な茸と空心菜,そして2種のソース.いずれも食材の優れた個性が活きた調理で,芳香を持つのだが,組み合わせて一緒に食べると,個性が調和した.尖って主張するのではなく,それぞれが持つ個性を没して,新たな芳醇さを醸すのだ.
イエスを思う.キリストは,神のかたちであられたが,神と等しくあることを固守すべき事とは思わず,かえって,おのれをむなしうして僕のかたちをとり,人間の姿になられた.自分の個性を尖らせて珍しくなるのが称賛される時代だが,本当はこのキリストのように謙虚であるほうが正しい.でも,それが難しい.小さな自慢を挟みがちだし,優越することに酔い,露骨にも隠さないことだってある.そんな自分は醜いし,これは若い頃を振り返ってみても,いつだって醜かった.
謙虚になる年齢でもないかもしれない.35歳はまだ人生の入口,先は長い.でも,これから年を増す在り方を考えていく年齢になった.どのように年を取るか.どのように人になりたいかという問いではなく,どんな人間でありたいか.個性的な方向ではなく普遍的な問い掛けである.もう個性を強く主張することはしない.でもどこにでもいる人間ではなく,好ましい正しい人間になっていきたい.価値は個性より常識,普遍の人間性に置くことにし,先人の多くがそう生きた仕方で時を老いたい.今はその程度の構えである.

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