変化を拒む人は時代から拒まれる.ある友人は私を変化を拒む人だと断定する.私は特性上,規則を決めて従う暮らしのほうが,何もかも自由な生活よりずっと安定する.自由な校風の高校をかつて中退したように,規則がきちんとある環境のほうが自由に変化する環境より圧倒的に安定する.だから少し堅い職場を選んだし,収入の安定も家族との情緒的安定も,私の幸福に貢献している.市民としての自覚も育っている.
ところがこの友人はそう考えない.そもそも彼は他人を変えたいと云う.他人を変えて自分の居場所を作りたいと.他人は変えられないので自分を変える.自分を変えることができなければ云々.彼は恐らくこの社会に居場所がない.ひとり暮らしで生活保護,障がい持ちで低収入.仕事はできるし聡明で,聖書を読破するほど熱心な人物.彼がなぜ社会で評価されてこなかったか,私はその点を友人としてどうにかしたいと思ってきた.
幸い私はすでに自分の居場所をこれでもかというくらい作り,本当に様々な方々とお会いし,お話しもし,深い知見も得たし,自分を反省もした.この街には素晴らしい人物がたくさん住んでいて,この街で暮らせているだけで感謝してきた.その友人である彼は,私とラーメンを食べることが恐らく数少ない居場所になっていて,私はそういう存在であろうとしてきた.神の御旨であろうと思うし,私だって彼から恩恵を受けている.
昨日私はペンタブレットを注文した.絵を描くという習慣が学生時代の辛い時期を乗り越えるきっかけだったから.当時の私の絵は評判を買っていたこともあり,このペンタブレットで生み出した絵をウェブに載せるのも悪くないし,さまざまな制作物に自分がペンで描いた図絵を入れてみたいと思った.思った.私には困難と付き合う手段がある.居場所を作れる能力がある.でもそれを持たない人だっている.それも,すごく身近に.

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