自分のために物を買ったり勉強したり研究しても,つまらないと思うようになった.自己満足では満足できず,自分の中に収めるためだけに物を作ることもしたくなくなった.私がすることは誰かに届く.必ず届く.だから,私が取り組むことに無駄はないし,取り組みの周りには流れが生じる.私の行動が誰かの満足に結びつくとき,私は幸福を実感する.生きていて良かったと思う.たとえ社会に絶望してもである.
私の父は,自分のために物を買わない人物だった.洋服は最も安いもの.食費も安く抑え,その代わり子どもには好きなものを食べさせ,教育には見境なく恵み,お小遣いまで頂いていた.父のお金の使い方は見習うべきものがあると私は今でも思っている.生活に本当に必要なものを選ぶ眼があるし,愛情が豊かな人物だったと分かる.私はそんな父親に恵まれて育ってきた.父は決して自分のためにお金を使わないのだ.
我が身を振り返る.今年はほしいと思ったものを次々購入した.そしてそのうちのいくつかは殆ど使っていない.さすがに無駄遣いではなかったが,使用頻度が低く代替手段もある中で,活躍の場に登場する機会が少ないものがいくつもあった.本当に必要なものを私はまだ見極められない.教会にも不要なものを寄付してしまった.短絡的な贈り物で迷惑だったかもしれないと大いに反省している.
現在に戻る.今の私の書斎は,注意が散乱しやすい配置になっている.机の上には買ったけど使われていないものがごろごろ置かれ,使っていないことを購入者にまるで訴えている.脇には読まれていない書籍が並び,背表紙を互いに主張し合っている.私が引く手数多な環境デザインになっている.確かに創造的な書斎ではある.雑然とした机と整然とした机のどちらを取りたいかといえば,常に隣の芝生は青いのだ.

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