読み終えるという概念について.いったい本を読み終えることはできるのだろうか.1冊の本をもし最後まで目を通したなら,その本は読み終えたと云っていい.最後まで読んだのだから.しかし,半年や数年経過すれば,その最後まで読み通した本を,恰も初めの触りしか読んでいなかった本のように感じる.そして,最後まで読んだはずのその本を,もう一度初めから読むことになる.そんなことが何度もあった.
だから私は,買った本とは一生の付き合いであり,本を買うという行為は家族を増やす感覚に近いのだと思うようになった.物なら壊れてしまえば捨てられるけれども,本はそう簡単に壊れない.しばしば,最後まで読み通すことになった本は,繰り返し読む本になることが多い.一度でいいやという本は滅多にないけどある.一度も最後まで読めていない本だってある.そんな愛情の斑があっても本はそのままである.
本とどのように付き合うか考えていた.本の楽しみ方は活字を追うだけにあらず,想像の世界は限りなく広く,装丁やDTPやフォントを目にして陶酔することだっていい.つまり,本として,活字として,意味を持つ言語として,本の魅力は限りなく広くかつ永続していい.繰り返し目にするものでもあり,時間をおいて自分の経過成長を感じるものでもあり,本を正確に完全に分かるなんてことは生涯をかけても無理だ.
しかし,人生で完全に理解したと云える本を1冊は持っていたい,そう思うのも人情である.私はこの本とともに生きてきたと云える本である.そういう本を持つ人は至福の人だと云った作家があったが,完全に理解できる本はきっと持てるだけで奇跡に近い現象なのだろうと窺わせる.これだけたくさん書かれて売られている本とは,いったい何のためにあるのか.本で社会は変わってきたのであるから,不思議な存在である.

コメントを残す