一週間も自宅にいると,過去の失敗が頭に擡げる.その多くは口害だ.私はことばで何度も失敗してきた.口は災いの元.自由な議論の場で自由に発言したためにチームを追われた経験が幾度もある.普段から失礼な言動を犯し,人間性を疑われた故,組織から自主追放した経験も幾度かある.思考は常に自由でよいが,発言は自由ではないのだ.
今にしてみれば,あの時のあの質問,あの態度は失礼だった.そうした体験がいくつも思い出される.しかし,その数が多いほど良いのだ,反省し学習することができるから.次はこれをこう言ってはいけない,せめてこう言うことにしよう,こういう空気でも言う前に気を付けよう.こうしたことは,あの時悪い顔をしたあの人が教えてくれたのだ.
大概の人間関係での摩擦は,口の害だろう.何も言わなければ直接の害は起きないが,関係もないので,成長しない.口をいかに制御するか,聖書にも難しいと書かれている.斬新なアイデアに安易に期待を寄せるこの世の中で,いかにことばを使うかが重要だ.斬新とは口害をなくすアプリができないかといった安直な期待だ.
ことばで失敗してきた人間は私だけではないのだろう.政治家でも芸能人でも,ゴシップの殆どは発言や言動に焦点を置いたものだ.この情報通信社会は,耳の当たりが良いことばだけ流通させたい,それ以外は雑音として排除して暮らしたい,そういうニーズがすごく強く存在する.雑音を浄める働きが不足しているからこそ,ことばは害になる.

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