読むより書くほうが好き.書くというより打つことが好き.つまり文字を並べることが好き.私の仕事はプログラマ.読める人にしか読めない文字を打ち続ける仕事.読んでくれるのはたいてい人ではなく機械,計算機,ブラウザ.この文もプログラムだと思って打っている.読む人は未来の自分だけ.自分に宛てた文字を並べる作業.それがこの退屈な部録に記事を追加し続ける私の活動の全体だ.
私はこの活動のために糖分を摂取しビタミンで糖質をエネルギーに変えその加水分解反応を水を飲むことで促進する.何のためかといえば代謝を促進させて疲れやストレスを忘れるまで文字を利用するためだ.文字を並べているとその行為が好きだという面もあるからか脳が多くの糖を要求し快適になる.快のための文字の利用は,読み手のいない文であり使われる文字には失礼ではある.
最近SNSで友人になったバンコクの方は,機械翻訳を使いながら私に日本語でメッセージを呉れる.その片言の日本語を読んでいるうち,私の打つ文字列は何語なのか判然としないのではとの恐れを抱いた.私はここに確かに日本語で使用する文字を如何にも日本語の達人であるかのように並べている.しかし,その表現は良く現代的に洗練されたそれとは懸け離れているように思える.
これらの文は日本語なのだろうか.果たして日本語の仲間に入れる文なのだろうか.私の思考が日本語を基にしていないことは私には明らかである.何よりも明らか.日本語で思考できなくなった背景には,プログラミング言語への慣れと外国語の勉強経験があるように思う.私は誰に何を伝えるためにこの部録で記事を更新しているのか.それが不明なままこの部録は5年目を迎えた.

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