ディスプレイが書斎にやってきた.横長で湾曲した巨大ディスプレイ.これで私の書斎は机が2脚,モニタがそれぞれに,椅子もそれぞれプラスお休み用のロッキングチェア.6畳半くらいの広さにこれだけの什器が詰められているけど,気持ちは詰まるどころか安らぐ.机には本や雑誌の切り出しが置いてあり,適度に読めるようにしてある.探究心により読み物には困らない.
2脚の机のどちらで仕事しても良いようにした.場所を変えて気分を変えることができるようにした.どちらの机でも,同様に作業できるうえ,一方は開放的に,もう一方は閉じこもり的に設え,緩急の均衡を逆に利用して仕事に乙張を付けられる.冗長で散漫になりがちな仕事の時間を,目的をはっきりさせて溌溂と楽しむための工夫であると思う.
別の特徴として,本棚が3棹ある.いろいろな本が仕舞われている.過去に読んできた,ポール・ヴァレリーの伝記,東京芸大建築科出身の建築家の随筆集,バックミンスター・フラーの稀覯本.20代の時入れ込んだ文化が今も触れられる位置に隠されている.本を開けば当時の記憶が溢れ出す可能性があるが,今はそうではない.随分と安定するところに収まったものだ.
人生はこの書斎で続いて行く.そう思うと,書斎の枠取りって大事だと思う.どこに何があるか把握するだけでなく,どの本にどの文化,どんな記憶が埋まっていて,どんな青春と繋がってきたか,その時間はその後どんな思想に実り,どの瞬間に役立ち,今も生きているか.本と共に長い時が経過した気がする.新しい思いも降り積もっている.それら本と私の成長が,私の定義を更新する.

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