何らか主題から始まり構想が膨らむまでに,その主題の展開が執拗に検討されるか練られる間に,主題が逃げてしまわないようしっかり掴んでおくのは当然として,全貌が捉えどころなく見えぬままであっても,手の作業を進めてしまうことは批評的に善である.手のわざは,意識が全体を顕わさないままに先んじ,意識が完全に捉えるままに手が来るのではない.多くの場合は.
何かを作ろうとするときはいつでも,何かの理由で捕まえた抽象的な結合が,制作の始まりを知らせる信号の役を務め,どうやらその結合した像はすぐに全体を顕わさない.自分には展開する凝視する網羅する才能が足りていないと感じながらも,一度全体が見えてから取りかかりたい誘惑にも,才能の不足の穴に逃げ込もうとする怠慢にも,相互に打ち勝ち相殺する平安を図りつつ,始まりの鐘は鳴る.
いざ箱を開ければ始めるに気持ち良い材料と,進むに値する道に当たる構成や安全な構造を踏襲することになり,外の軌道をあまり見ずに主題の捉えた抽象的な何かの形が顕れるまで,手は動く.もし耳や口が動いていたら,彼らの囁きや呪いが頭を通して手に伝わり,手は相乗効果に酔いしれる.驚くことに手は耳や口や鼻の影響を易々と受け,相乗的な答えを出していく.
最後に全体の構成を見る鏡のような批評精神を欠かしていても,手のわざの終わったとき精神は復帰し全体を参照する.時々疲労と億劫から自己討議の缺欠を犯すことはあっても,終わりよければというように全体はそれなりの主題を引き続け,構成の力なのか主題が光るようにはっきりした輪郭を彫ることがある.これは成功のしるし.いつの日か巨大で繊細で緻密な成功の光が照り輝く作品を手掛けられますように.

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