私は部録を書いてきて15年近くになるのだけど,文章は一向に上達しない.昔で云えば三文文士に当たる.特に話し言葉に困ることが多く,話題を追うことや文脈に即して対応することや話の流れを把握する力がむしろ下落の一途を辿っているように感じられ,これだけ多くの単語を知って多言語の文法を弁えられるというのに文章が上達しない.何か原因がある.少し分析してみようと思う.
実は私の文章は,いろいろな人から謂われる限りでは,評判は悪くない.分かりやすいとか読みやすいとの感想は頂くし,着眼点や好奇心を称賛する方までおり,私の文章を扱き下ろす人物には巡り合ったことがない.このできない故の苦悩を経験してこなかったことは弱みである.初めからよくできた,優等生的な面がある.だから私は悩みが少ないし,それを良しとさえ思うこともしばしばで生きてきた.
上達しない理由は恐らくこの辺りにある.人は失敗から学ぶので,失敗していないことが失敗であると分かったところで何も学べない.挑戦したのに挫折したことがない,それほどの環境でやってきたので,できると思ってきたが,どうもそうでもなく,しかし真摯に考える姿勢が伝わることもあるし,知識の豊富さを楽しんでくれる友人もいるし,心を打つといつも称えてくれる方もいるこの境遇には感謝しかない.
文章を上達させたいという願いは単なる贅沢な欲なのかもしれず,文章がうまくないとの自己評価は表面的な錯覚かもしれず,かといって私が文章の達人だと思うのは早計で警戒すべき態度である.そもそもなぜ文章の上達を分析するかといえば,文章という奥の深い完成も正解もない修業を極めたいとの思いの表れで,この思いを持ち続ける間は虚心坦懐に修練すればよいだけのことで,いずれ仕事に加えたいとの目標を立て励んでみたい.

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