今の職場に定年まで勤めようと単純にそう考えている.ただ昇進とか昇給には一向に関心がない.責任が重い職務が自分に務まるはずがなく,今から準備して教育されても根から問題があるので,万一昇進の話を受けても断ろうと思う.また,勤続年数で給与が上がる体系で今は経営されているが,この年功序列は早晩崩れるとみているし,もし昇給してもそれほど多くを望まない.年収500万円を超えないくらいで定年まで働ければと思っている.多少虫の良い話かもしれない.けれど,人生に多くのお金を必要としないことが,もうすっかり分かり切ってしまっている.
お金が少ないとお金を欲しお金がすべてだとさえ思ってしまうが,そんな風に思うのは損で,本当はお金なんてある程度持つとそれ以上欲しなくなるようなものにすぎない.というのは,ある程度持つと人生に安心と落ち着いた幸福を得るのだが,それ以上欲しようとは思わない,なぜならそれ以上持っても幸福感はどうせ同じだから.使い方によっては働かなくて済んだり貧しい人に感謝されたりもできる.けれども,それってそれ以上要らないからそうするのであって,もっと欲しいからそうするのではない.中年以降で仕事に目標を失う原因がここにあると私は思う.
若い時は仕事自体が面白く甲斐もあったのだが,地位や収入をある程度得ると止まってしまう.それ以上求めても変わらないから.自分が求める最高の生活に入ると,それ以上追っても幸福が増さないことが分かってしまう.ものを増やしても管理できないし,食べても太るし,読書に時間は有限だ.限られた中で回していたほうが良かったのではないか.そう考えて折角得たこの最高の生活を維持ではない形で変化させようと考えるに至る.そうすれば仕事に新たな意味が加わり,動機づけを得られるし,それはまっとうなことだし必要なことだ.若き日の直感ではなく人生の達観の始まりである.
こうして人生や世をまっとうに見るようになることが人生後半の面白みの大部分を占める気がしている.いつまでも若いままの認識では何か物足りない面が残る.暮らしをここまで平穏にしてくれている働き手がいることに感謝するようになって,社会で生かしてもらっていることを当然と思わないことが,大事だ.35歳の私はそう考えているが,5年後10年後の私はこの思考をもっと進めているだろう.昇進も昇給も求めない代わりに,要求される立場や見方があり,そこに向かって進めれば,市民のひとりとして健全に認められるのかもしれない.健全な市民になりたい.

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