この半生で最も良かったと思うこと,それは,高校を替えたことだ.皮肉な意味はないけど,当時の自分は何かに囚われ急いでいた.道化と退屈と美的実存に生きた高校の3年間.この3年間を過ごせたからこそ,感覚が伸び,多くを感じうる精神へと磨かれたのだと.若い時に磨かれた感性は,中年になると純粋さと素直さに転化し,自分の思うように考え生きる人生に変える.私の高校3年間は,誰にも言わないが,ここだけの話では,最高の時間だった.何も後悔していない.誰かを傷付けたかもしれないけれど.
当時から凄く感じ方が特異で鋭く,かといって正しさより晦渋さ,優しさより反骨的,そんな大人から期待される取り柄が全くない人物だった.大人は誰も支持してくれなかったし,級友にも理解してもらえなかった.ひとりでできる限りあらゆる方面に考え行動した.凄く充実したし楽しかった.法律を破るようなことも何度もしたし,悪事も幾たびか働いたけど,それらが神さまにゆるされたとき,悪魔は去り,純粋で素直な大人に変わった.その化合の詳細は不明である.
やはり高校3年間の思い出は強烈で,よく覚えていることがある.授業にも碌に出なかったし,捨てられた自転車を改造し対岸の浜辺まで何時間も走りに行ったし,夕べ港で船を見ながら日の沈むのを眺めたことが何度あったことか.古典音楽に親しみ,図書館で数学と建築と文学をよく読み,前衛的な作文に凝っていたあの時期に,美術学校建築科の生徒として活動していたときの様々な光景が,今でも鮮明に焼き付いている.あの冷たく静かな朝の霧.列車.海辺の船の音.などなど.
当時の自分からすれば,今の自分と連続する物語を編み出すことは簡単ではない.あまりに変わったし,自分で選び取った実感はほぼ持てないし,環境的にも連続していない.その不連続な時間の思い出が,時折今の私の脳裏に蘇り,それは幸福と結び付けてくれる.物語を自在に編み出すことは,自分の歴史を持つことであり,自分の軸芯を持つことである.その作業は自分として生きるのに必要だと思う.私はそれを怠ってきた.私は連続した自分史を持ちたいのだ.

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